【東京都】勝鬨橋
元々は築地と月島を結ぶ「勝鬨の渡し」と呼ばれる渡船で、日露戦争の旅順陥落戦勝を記念して明治38年に開通された。
当時の月島には石川島造船所を始め多くの工場が置かれ、交通需要も多かったことで、昭和4年に出された「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が実現した。
建設当時は隅田川を航行する船舶が多かったことから、陸運より水運を優先させるべく、3000トン級の船舶が航行することを念頭に可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通行を可能にした。
昭和8年6月に着工、昭和15年に「皇紀2600年」を記念して月島で開催予定だった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあり、日本人の技術力を誇示するべく海外からの技術に頼らず、すべてに日本人の手により設計・施工が行われた。
万国博覧会は戦争激化などもあって中止となったものの、昭和15年6月14日に勝鬨橋は完成、「東洋一の可動橋」と呼ばれる程の評判を得た。
当初から路面電車のレールが敷設されており、昭和22年から43年まで都電が橋の上を通行していた。
1日に5回、1回につき20分程跳開していたが、船舶の通行量の減少に加え、モータリゼーションによる交通量の増大により跳開の頻度が少なくなり、昭和45年11月29日を最後に開閉が停止された。
平成10年からライトアップがされている。
勝鬨橋 2022.12.20 浜崎水門近くの隅田川テラスから撮影。
隅田川はほぼ全域の両岸に親水テラスが整備されているが、勝鬨橋東詰の南側、勝鬨橋と築地大橋の間にある浜崎水門の手前に設けられているテラスは、ライトアップされた勝鬨橋を鑑賞できる絶好の場所である。
なお、この場所からは同時に築地大橋と東京タワーを臨むことができる。
対岸にはかつて築地市場があったが、豊洲に移転した後も往時の名残りと思われる建造物が見える。
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